子どもが学校でいじめに!親として取れる行動は?【マイストーリー:幼少いじめ編】
2017/03/16
ぼくの実体験です。
人生に影響を与えてきた過去を振り返り、得たことを書いていきます。
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いじめにあう
産まれてすぐ父を亡くし、母の実家で育つ。
おじいちゃん・おばあちゃんっ子になったのは、そのためだろう。
小学生に入る前、身体が弱くしょっちゅう病気をしていたそうな。
看護師さんにかかってない流行り病はないね〜、と驚かれるほど。
川崎病という大病も患ったけど、現在では完全に治癒し後遺症もないので本当によかった。
そんなこんなで一通り流行り病の抗体を付けたところで
小学校に入り環境変化が生じた。
いじめに会ったらしい。
らしい、というのもぼく自身その記憶がほとんどない。
よほど辛かったのか、その後訪れる楽しい記憶に上書きされたのか記憶から抹消されている。
唯一覚えているのは、自分の傘を同級生に取られて後日その傘がドブ川に浮かんでいるのを見たときのこと。
その時の感情は、傘がドブ側に流されてしまってかわいそう、
ということだけ。
そのほかの記憶はないがうっすらと、辛かった・悲しかったという体験は残っている。
記憶は消えても心の傷はきえない、というこのなのだろうか。
このいじめに対して家族のとった行動がぼくの人生を変えてくれました。
そもそもいじめてくる相手は誰なのか。
それは同級生と担任の先生。
担任!?
という感じだが、確かにあの先生は嫌いだ!
という体験は残っている。
小学生1年生ながら、毎日一人で居残りをさせられてたらしい。
しかも残しておきながら先生は先に帰っているという。
残されてたなぁって記憶は多少あるけどその他はあんまり。
何が原因で小学生のぼくがどこまで家族に伝えることができていたのか、
家族が学校にどこまで確認していたのかわからないけど、
これが本当だったら衝撃だ。
自分の子どもがこんな仕打ちを受けていたらどうするだろうか。
もちろん担任、学校に事実確認と改善要求はするだろう。
要求を出して改善されるようなら話は早い。
改善されないから世の中の様々な問題が起きるのだ。
そもそも担任がこんな調子だったんだから。
環境が変わらないなら環境を替える
いじめの現状が改善しない、そこで家族がとった行動は
違う学校へ転校するというもの。
転校といっても小学校は学区というものがあるので、
その地域に住んでいないといけない。
なので家族全員で引っ越しをしたのだ。
ちなみに家族全員は祖父・祖母・叔父・叔母・母・姉・自分の7名。
大家族だよ。
そしてこの時、陣頭指揮をとったのが祖母。
普段はおだやかでやさしい祖母だけど、
ここぞという時の行動力は尋常じゃないようだ。
しかも、持ち家に住んでいたところからの引越し。
持ち家を持っているとなかなか移住という行動ができないがそのなものお構いなし。
祖父たちは車で30分ほど離れた場所で自営業を営んでいて、その近くにちょうどいい土地があったようで。
そこに家建てちゃえばいいじゃん!
ってノリだったのかどうかはわからないけど、
新しい家を建てて引越しをした。
家が建つまでいじめのある学校に通わせることはできないってことで、1年くらいは前の家から朝夕車で送ってもらっていたのを覚えている。
学区が違うので通常ならば引越ししていないと登校できないところだが、
自営業を営む事務所を自宅にすることで引越しを可能にしたそうだ。
この時も役所や学校といろいろと交渉があったみたいだけど、会社勤めの母親に変わり祖母全てこなしてくれたらしい。
大人になった今思い返してみるとすごいなぁと思うし、本当にありがたい。
息づくもの
この頃の経験が今のぼくの心に与えているもの。
- 決断と行動力
- 環境が変わらないなら替える
- 子どものためだったらなんだってやる
- 住む場所は自由
- 行動した後のことはなんとかなる